自己紹介(生い立ち) ステンドグラスを作っていた親の影響もあり、幼少期から工芸に興味があった熊谷さん。埼玉県川口市に熊谷ガラス工房&Canariを構えるまでの生い立ちをお話しして下さいました。 始まりは高校生。熊谷さんの高校時代はバブル時代真っ只中でした。 熊谷さんは、学生でも借金をして服を買ってしまうような時代に違和感を感じ、高校入学当初から生きにくさを感じていました。 高校ではテニス部に所属していらした熊谷さんは、スパルタなテニス部が苦痛になり、退部と同時に、近所のテニススクールに通い始めました。そこでのコーチとの出会いが、熊谷さんの学生生活を大きく変えることになったと言います。 テニススクールのコーチは、コーチ自身がイギリスの大学に通っていた経験もあり、熊谷さんに海外の大学の良さを伝えていました。日本の高校で違和感を感じていた熊谷さんは、その頃からコーチの影響を受け、イギリス留学を考えていたそうです。「美術だったらしゃべらなくてもいい」という理由から美術大学に留学することを考え始め、両親に相談したところあっさり承諾。一年という入学準備を経てから、スコットランドにある美術大学に進学されました。 バブル期の「失敗を恐れない」という風潮も、留学を後押しした要因でした。 渡英当初の留学先の大学では、環境の様々な違いに戸惑ったそうです。日本人がいない大学に行こうとスコットランドの美大を選択された熊谷さんですが、日本人というマイノリティに属していたため、自分の身の置き場を常に探していました。日本とは違い、自己主張・自己表現が求められる海外に留学して、初めて「自分は何者か」を表現しなくてはいけない環境におかれたそうです。個人の意見を持つことが当たり前である環境では正しさは要求されません。反対に、とんでもない大胆なことを作品に表現すると高い評価をもらうことができたと、大学生活を振り返っておられました。そんなスタンダードに徐々に慣れていった熊谷さんは、自己表現を磨き、渡英する前には無かった「論理的な組み立てができていれば、何でも作品にしていいんだ」という価値観を学んだ後、日本に帰国しました。
しかしながら、日本に帰国すると、今度は逆カルチャーショックを受けたと仰いました。イギリスで身に付けた自己主張・表現という価値観は、日本では通用しなかったのです。 長野県のガラス工房に就職した熊谷さんは、4年の時を経て退職、その後川崎にあるガラス作家の先生のところで4年間、工房のメンテナンスや講座の先生をしていました。留学先の大学は、イギリス国内でも有数のガラス工芸に触れられる大学であり、そこでガラス工芸の柔軟さに惹かれたことから、ガラスの道に本格的に進もうと思ったと話します。 そして、2002年、独立を決意し埼玉県川口市に工房を構えました。2020年現在、熊谷さんは職人歴26年目を迎え、熊谷ガラス工房&Canariは18年目を迎えました。 ガラス工房での様々なワークショップや体験を通して、留学生活で学んだ自己表現の大切さを多くの人に伝えている熊谷さん。多様性や自己表現力の大切さを広めていくことが、今後ガラス工房を経営していく上での長期的な目標だと語りました。
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熊谷周二さんArchivesCategories |